
誰かを照らすために、
自分を削り続けてきたあなたへ。
誰かのために、あるいは「正しさ」のために、
ずっと自分を後回しにしてきませんでしたか。
理想に届かないもどかしさも、拭えない不安も、
それはあなたの弱さではなく、役割を背負う人が抱える「揺らぎ」に過ぎません。
アーユルヴェーダという古くて新しい智慧を手に、
置き去りにしたままの「わたし」を迎えにいく一年。
いま、届けたいのは、 ”自分へ還る” ための「豊かな孤独」に浸れる時間です。
Dr. Sundar Raman
アーユルヴェーダ 長期基礎講座
― My Story
必死に誰かをケアし続けた、
記憶も曖昧な混沌とした日々の中で。
15年前、私はアーユルヴェーダに出会いました。
当時はすでにヨーガを伝えていましたが、自分の奥深くに、まだ掘り下げるべき何かが眠っていることを知っていました。
何度も渡印を繰り返し、辞書を片手にサンスクリット語の真意を必死に吸収しようとした4年間の土台。
けれど、本当の学びは、その後に待っていました。
田舎へ移住し育児をスタートしましたが、突然のコロナ禍、子の不登校やホームスクーリング、夫の失業に体調不良…… 。
予期せぬ事象の波が次々と押し寄せ、私はただただ必死でした。お金のこと、仕事の調整、子どものケア。
優先順位を瞬時に判断し、自分のエネルギーを限界まで切り詰めて配分する日々。
「なんとか家庭という船を沈ませないように」
気づけば、嵐の中で必死に舵を握り、自らの「意識的な営み」をフル回転させ続けていました。
けれど、その「必死さ」を心の底から共有できる人は、いませんでした 。
一瞬一瞬、家族の機微を読み取り、言動を選び、なんとか調和を編み出そうと心を砕く。
その膨大なエネルギー消費は誰の目にも見えず、
ただ自分の中にだけ、「これで正しいのか」という正解のない問いと検証が積み重なっていく。
自分を追い込み、気づけば 今しかない家族の宝物のような瞬間を、心から味わう余白さえ失っていました 。
「 親として、大人として、役割を全うすること。
それは とても尊いことだけれど、それ以上に『わたし』という、たった一つの "いのち" を濁らせないように」
かつての私は、アーユルヴェーダを学んでいたにもかかわらず、押し寄せる現実に足をすくわれ、
その智慧を自分に使う余裕さえ失っていました 。理屈は知っている。なのに使えない。その自分をまた責める。
そんな悪循環の中にいました。
変容のきっかけは、講座構築のためにドクターの言葉を一つひとつ母国語へ翻訳する作業を、再開したことでした。
必死に船を漕ぐ手を一度休め、ひとりになれるしずかな時間を捻出し、ドクターの言葉を浴びる。
すると、バラバラだった点と点がつながり、時間とともに少しずつ心の奥に「余白」が戻ってきたのです 。
私はそこで、ようやく目覚めたように思います。
子どもは親の意図を軽々と飛び越え、パートナーもまた、個の課題を抱えて生きている。
社会の荒波をコントロールすることなど、私にはできません 。
けれど、その『ままならない世界』の中で、
なおも相手を想い、機微を読み、一歩を踏み出し続けてきた自分を振り返ったとき、気づくのです。
結果がどうあれ、その荒波の中でケアを担い続けてきたこと。
それは決して『流されていた』のではなく、意識的で、能動的で、尊い営みだったのだ、と 。
そして、ケアを担う「わたし」をケアすることが、ほんとうに、どれほど切実で大切なことだったのか、ということに。
役割に溺れ、見ないふりをしてきた本音は、いつしか「いのち」そのものを曇らせてしまいます。
この8年間のリアルな生活の中で、何度もアーユルヴェーダの教えの根っこに立ち返りながら、
わたしは肚に落として理解してきました。
赤ちゃんの頃、誰もが全方位に解放できていた、こころとからだの純な輝き 。
何もしなくても、ただ生きているだけで尊い、という圧倒的な実感 。
その「いのちの灯火」を再び灯す術を、私はドクターの教えと自らの葛藤の中に、ようやく見出したのだと思います。
足掛け10年。私一人では辿り着けなかったいくつもの壁を、ローレル・キムラ博士(MIT 社会科学博士)に支えていただき、
ようやくドクターの言葉を日本語で学べる準備が整いました。
育児や介護、仕事でもプライベートでも、役割を精一杯生きるなかで、
誰かを照らすために、自分をすり減らしてきたあなたへ、届いてほしい。
どうかこの出会いが、あなたの人生を照らす光となりますように。
mother earth 主宰
ナナ
知識を集めるだけではたどり着けない、
いのちが澄みわたっていく プロセスが、ある。
なぜ、1年という時間をかけるのか。
それは、情報を脳に記憶させるためではなく、学びが「体感」へと変わり、
あなたの細胞ひとつひとつが納得するのを待つためです。
ドクターが解き明かす智慧の領域は、深く、広大です。
一度の講義で全てを理解しようとすれば、きっと消化不良を起こしてしまうでしょう。
けれど、それでいいのです。
「分からなさ」という智慧の種を、そっと抱えたまま進んでみる。
その答えを急がない贅沢な保留こそが、
時間をかけて種が芽吹くための大切なプロセスです。
効率よく正解を求める外側の世界から、一度足を止めて、
自分を慈しむための「仕組み」と「環境」に身をゆだねてみる。
誰かを照らすために削ってきたその手をゆるめ、
まずはあなたという「器」を、澄んだエネルギーで満たしてください。

なぜ今、この智慧が必要なのか
あなたの優しさを、本当の「ちから」に変えるために。
「正しさ」による摩耗を止める
「正義」や「最適解」が可視化され、絶えず自己評価に晒されている私たち。アーユルヴェーダは自分を「善悪」ではなく、自然の一部としての「個体差」だと客観的に捉える視点を与えてくれます。
それは、ありのままの自分に心地よくゆだね、受け入れるための、理に適った"優しさ"だと言えます。
Q. 自分を優先することに、罪悪感があります。
A. 枯れた井戸から水は汲めないように、自分を削っての献身はやがて摩耗します。アーユルヴェーダでは、まず自分を満たすことが、他者へ溢れ出す純粋なちからの源になると考えます。あなたが整うことこそが、大切な人への一番のギフトになります。
「すぐ分からない」という可能性
検索エンジンは答えをくれますが、変化まではくれません。心身の土台を立て直すには、情報の上書きではなく、ゆっくりとした『熟成』が必要だからです。「分からない」というモヤモヤは、新しい自分と出会うための、大切な準備時間。
効率を求める手を緩めて、ゆっくりと概念を細胞に馴染ませていく一年は、情報過多な現代において、自分を大切に守るための優しいギフトとなります。
Q. 独学ではダメですか?
A. 楽譜を眺めるのと、生演奏の響きに「身を置く」のは違いますよね。知識を「知る」ことと、この場に宿る非言語的なちからを「共にする」ことは別物です。 一人で正解を追う手を放し、生きた共鳴に呼吸を合わせる。その決意こそが、置き去りにされたあなたの心身を、深いところから癒やしていきます。
性格のせいではないと知る
理想通りにいかない時の「イライラ」や「不安」は、あなたの人間性ではなく、生命のエネルギーバランスが乱れているだけかもしれません。
「自分」と「状態」を切り離して客観視することで、「自分はダメだ」という思い込みの罠からすこしずつ自由になっていきます。
Q. 感情をコントロールできるようになるのですか?
A. まずは制御するのではなく、ただ「仕組み」を知ること。 感情を「自分そのもの」ではなく、天候のような「状態」として理解できれば、気持ちや考えに振り回される自分を責める必要はなくなります。
豊かな孤独に浸れる「サンガ(集い)」
役割を背負い、誰かのために尽くす人には、自分を癒やすための聖域が必要です。少人数で育む対話の「器」は、張り詰めた心を緩め、閉じ込めてきた本音を少しずつ解き放ってくれます。
ありのままの存在が受け入れられる環境に身を置き、内なる源としずかに繋がる。
そのプロセスを丁寧に守る場が、あなたを本来の健やかさへと還してくれます。
Q. 忙しい日常の中で、1年も続けられるでしょうか?
A. むしろ、その「日常」を守るための講座(サンガ)です。 調子が良い時だけでなく、揺らいでいる時こそ、この場を頼ってください。
アーカイブや補講という「仕組み」を使いながら、自分と繋がる習慣を育んでいきましょう。
Wisdom of Life
アーユルヴェーダは、
誰にも見えないあなたの献身を、
静かに見守り、裏付ける「智慧」。
あなたが一人で繰り返してきた、意識的で能動的な「気づき・考え・調整する」営み。
その成否に確信を持てない不安を、アーユルヴェーダという客観的な「智慧」が肯定し、
孤独な検証を終わらせるための確かな根拠を授けます。
気づく
サインを「感知」する
感情の揺らぎや体の状態を「ダメな自分」と評価せず、ただ窓を開けるように自分の内側を眺めます。
いのちのバランスが揺らいでいることを知らせる、かすかなサインを掬い上げる練習です。
紐解く
仕組みで「考える」
「これでいいの?」という不安を、
ドーシャやアグニという生命の理で紐解きます。
自分の選択に客観的な根拠が持てるようになり、モヤモヤすることの仮置きや挑戦のハードルが下がります。
調和する
心地よく「調整」する
頑張って直すのではありません。
本来のバランスへと戻していく、自然で能動的な智慧が働きます。
自らを整えることが、結果として大切な人を照らす最も純粋なエネルギーとなります。

ヴェーダの宇宙観から、身心の特質、日々の食事、ハーブの紹介まで。
「わたし」を取り戻すための、体系的なロードマップ。
叡智を細胞に染み込ませる、全23回
Phase 1: 伝統と宇宙観
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マントラ・ヴェーダ解説
(内観の準備) -
四住期と人生の目的
(役割と喜びを識る) -
アーユルヴェーダ起源と八科目
Phase 3: 日々の養生
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食の智慧(ヒターハーラ)・Virya, Vipaka
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睡眠(Nidra)と精神の深い休息の術
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ディナチャルヤ
(理想的な1日の過ごし方)
Phase 2: いのちの生理学
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五大元素・トリドーシャ
(自分の構成要素を知る) -
代謝と毒素(アグニ・アーマ)のメカニズム
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プラクルティ(体質)徹底分析
(自分を客観視する)
Phase 4: 植物と統合
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主要ハーブの探求
(自然のお守りを持つ) -
ハーブ製剤の基礎理論と手法
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パンチャカルマ紹介
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1年間の統合(自立への出発)


※リトリートは任意参加です。参加時の活動費・宿泊費等は講座代とは別途となります。
身を環境に浸す、
岡山でのリトリート。
オンラインが種なら、
対面のリトリートは、その種が身体に根を張るための
“環境”です。
年に2回、岡山にて、
講義以外にヨガやキールタン、食、対話をともに味わう
一泊二日の時間を予定しています。
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選ばれる3つの理由
Reason 01
5,000年の古典に根ざした
「理に適った智慧」
単なる情報の切り抜きではなく、ドクター直伝のサンスクリット語の真意を、母国語で深く紐解きます。
自分の感情や体の揺らぎを「仕組み」として捉える一生ものの視点。
「なぜそうなるのか」を知ることで、自分とからだやこころの間に透明なスペースを生み出します。そのある種の余白が、自責を遠ざけ、自分を労り慈しむ智慧へと変容させます。
Reason 02
「分からなさ」さえ分かち合う
澄んだ「場」
一人で正解を追う「孤立した学び」から卒業します。
「豊かな孤独」を持ち寄る仲間とのサンガ(集い)は、答えを急がない贅沢な保留を許し合う聖域。生きた共鳴の中に身を置くことで、言葉を超えた力があなたの内側を澄ませていきます。
「独学」ではたどり着けない、非言語的なセルフケアがここにあります。
Reason 03
そのままのあなたで居られる
揺らぎを包む
「仕組み」
完璧を目指す必要はありません。体調や家族の状況、心の浮き沈みといった「揺らぎ」があることを前提に、1年という歳月をかけて「智慧の種」が自分に馴染んでいくのをしずかに待ちます。アーカイブ受講や補講など、役割に忙しいあなたの日常に寄り添う仕組みが、学びを血肉(体感)へと変えていきます。
「役割」を全うしながら、たった一つのいのちを濁らせないための、しなやかな習慣を育みます。
― Self - Inquiry & Harmony
この1年で、
私たちはこの『景色』を 一緒に見にいきます。

「循環の景色」

「知的なゆとりの景色」
